理論編実践編では、

  • 理解とは分解と再構成である
  • 自分の言葉でメモしなければならない
  • そのまま書き写すな

といった話をしました。

しかし、偉そうに指摘した過ちは私の経験でもあります。

私は10年以上にわたり、 「本を読めば頭が良くなる」 という幻想を信じて頑張って多くの本を乱読しました。

それでも、いざ何かを書こうとすると何も出てこないという苦い経験をしました。

それでも読書を続けて辿り着いたのが「理解は分解と再構成である」というアイデアでした。

本記事では、そのアイデアに至るまでの私の失敗の歴史をまとめます。

勉強のアンチパターンとして参考になれば幸いです。

急に読書を始めた大学時代

なぜ受験勉強なんかしなければならないのか分からず高校時代は苦しい時期を過ごしました。

大学に進学して単位を取るための勉強するのも高校時代の延長に感じられてモチベーションが出ませんでした。

かと言って勉強から逃げるのも違うと思いました。 知識を身につけることが重要だとは感じていたからです。

本物の勉強をして教養を身に着ける。 これがあの苦しみの供養であり、 かつ人生を切り開く道になるに違いない。

そう思い直し、野心から急に読書をするようになりました。 大学の図書館やブックオフに足繁く通うようになりました。 それまでは全く本を読んでいませんでした。

大学数学で知識の依存関係の重要性を知る

私は工学部でした。 大学の授業で出てくる話の本質的で根本的なところに興味が湧きました。

それは大学数学だろうということで、教程そっちのけで大学数学の勉強を始めました。

完全に力点を履き違えていますね笑。 でも、これこそが本当の教養になるんだと息巻いていました。

しかし、大学数学は高校数学とはかなり趣が違っていて、 定義、定理、証明が羅列されていて全体像も分かりませんでした。

ここで、知識の依存関係を把握することが大事だということを朧げに感じました。 でも当時はまだこの「知識同士の繋がり」を読書に応用する発想はありませんでした。

私は相変わらず、 本をたくさん読めば頭が良くなると信じていました。

全然アウトプットに繋がらない無駄な読書

そんなこんなで社会人になりました。 読書は変わらず続けていました。

そんな中、ブログブームが到来した。

お、読書の成果を発揮できる良い機会だ。 今までの読んで得たウンチク、読書の成果が発揮できるぜ。 そう思ってブログを始めました。

でも、 印象に残ったいくつかの読書内容や直前に読んだ本の雑な要約を書くことに終始しました。

読んだ本の話はいくらでもできると思っていました。

ところが、 いざ記事を書こうとすると何も出てきません。

どの本に何が書いてあったかも曖昧。 知識同士も繋がっていない。

私は初めて、 「知っているつもり」と 「説明できる」は全く別物だと知りました。

これはブログを書いてアウトプットしようとしたことではじめて発覚しました。

本を読み続けていれば直に博覧強記になれると思っていた。 でも実態は乱読という名の思考停止。 今日も一冊積み上げたという勘違い・自己満足。

相当なショックでした。

何となく勉強していれば成績が伸びるというのを信じることに似ていますね。

読書メモ開始

ブログでの失敗は書くことが理解のフィードバックになるという強烈な体験でした。

  • 溜まってるはずネタが取り出せない
  • メモがあればネタを思い出せるはず
  • 読書をメモにすらまとめられずにブログなんて書けるはずがない

そう思い直し、読書メモを始めました。 A4のコピー用紙にメモしながら読むスタイルに変わりました。

2-3年経ってメモが溜まってきました。 コピー用紙メモの画像

読書メモの効果がなかったと手書きメモの限界

でも、ブログを書きやすくなった感じがありませんでした。 こんなにメモ取ったのに。

  • まずメモがかさ張っていて読み直してネタを探すのが大変
  • 紙への手書きは書き直すのが大変
  • 書き直すと紙が汚れてしまう

などの問題がありました。 なので、デジタルペーパーへ移行して読書メモを続けました。

これでメモが嵩張るのを防げるし、書き直しやすくなりました。

でも、ネタ探しの大変さは悪化しました。 紙のメモならパラパラと手軽に見返せるし、並べて一覧できる一方、 デジタルペーパーではPDFを開いて中身を確認しないといけません。

しかも、いずれもある単語の検索が難しいです。手書き文字だからです。 だから、ブログ執筆でネタを保管するためにメモを見返すのが大変なままでした。

デジタルペーパーでも以前として、 重要であると思われる記述だと思ったところをある程度口語的に言い換えたりするものの その記述ブロックをほとんどそのままメモする感じが続いていました。

これは実践編でNGと指摘したメモのやり方そのものです。 本の劣化版コピーをメモするのに終始していたわけです。

そうして検索性が悪く見返しもしない、噛み砕きが足りないメモの山ができました。

まぁ、メモなしの乱読に比べて、メモする意識で読むのは知識の定着が少し向上した感じはありました。 でも、依然としてブログ執筆の補助としてメモには不満が残りました。

「分解と再構成」への出会いとメモ方法への反省

そうして、メモしてもなお読書の効果があまり感じられず読書のモチベが下がっていきました。 たまに思い出した時に本を読むような頻度が減っていきました。

そんな中、「分解と再構成」 について書かれていた本に出会い、衝撃を受けました。

昔から、 学校が授業ノートの提出を求めるのが嫌いでした。

板書なんて教科書の劣化版コピーじゃないか。

そう思っていました。

ところが振り返ると、 私の読書メモも同じことをしていました。

本の重要そうな箇所を抜き出して、 少し言い換えているだけ。

私は理解していたのではなく、 写経していただけだったのです。

手書きメモからテキストファイルへの移行

では、写経ではなく「分解と再構成」を実現するためにどうメモすればよいか。

私はここで初めて、 理解とは一度で完成するものではないと気付きました。

本を読みながらメモして理解したつもりになっていても、 後から読み返すと説明が不十分だったり、 概念同士の関係を見落としていたりします。

つまり、 理解とは何度も書き直しながら育てていくものだったのです。

ところが、 手書きメモはその「書き直し」が苦手でした。

何を書くのか考えて、それを一気に書き下す感が手書き文字にはある気がします。 少なくとも、何度も書き直すのには労力します。 配置を変えられないし、後から追記もしにくい。 だから重要だと思った箇所に飛びついて書きっぱなしになりがちです。

一方、テキストファイルなら

  • 並べ変える
  • 何度も書き直す
  • 大胆に配置し直す
  • 検索する

のが容易です。

私は理解のためのメモではなく、 記録のためのメモを書いてしまっていたのです。

テキストファイルなら話は別です。 重要な箇所に飛びついてメモするのはただの仮書き適度の感覚になります。 まず気軽に書き出して、それを配置し直したり書き直したりして理解を深めていくことができます。

私はここで初めて、 メモとは保存するものではなく、 編集し続けるものだと考えるようになりました。

テキストファイルは理解を継続的に改善する

こうして手書きからテキストファイルへ移行しました。 しかし、依然としてキレイに再構成されたメモを書くのは容易ではありません。 私は未だに最近書いたメモでも改善点をいくらでも見つけることができます。

でも、これは悪いことではありません。 テキストファイルは

  • 検索可能で見返す機会が多い
  • 文字も見やすく1行ずつ整列しており、手書きに比べて読みやすい

ので、改善点を見つけるチャンスが多いです。

手書きメモであれば見返すこと自体少なく、 その上、書き直しも大変です。

つまり、手書きメモは一度書かれたらそのまま放置されやすい「死んだデータ」なのです。

一方、テキストファイルは容易に書き直すことができます。

私はテキストファイルは「メモのソフトウェア化」だと考えています。

メモは保存して終わりではありません。

自分の言葉で書き、 見返し、 改善し続ける。

そうして理解を育てていくための基盤なのです。

結び

私は10年以上、 本を読めば頭が良くなると思っていました。

そうでなかったことがブログでのアウトプットで発覚し、 メモを書き始めてもなかなかうまくいかない日々を過ごしてきました。

乱読。 紙の読書メモ。 デジタルペーパー。

多くの失敗を経て、 テキストファイルによる知識整理に辿り着きました。

では実際に、 私はどのように知識を分解し、 再構成しているのか。

現在使っている具体的なメモの書式については、 ノウハウ編 で解説しています。