対象読者
- 高校数学で挫折する理由を知りたい方
- 数学の勉強へのヒントを得たい方
結論
算数は得意だったのに数学で挫折する人は多い。 進級・進学に伴い、どんどん難しくなっていく数学。あぁ、算数は簡単だったのに。。。
しかし、本記事では一般的な見解とは逆のことを述べる。 すなわち、算数が難しいから数学が難しいんじゃないか、と。
数学では何らかの前提を組み合わせて結論に至る。 その組み合わせを発想した上で使いこなすことは確かに難しい。
でも、その前提を腹落ちして納得するという数学の入り口の部分が難しいから躓いてしまうのではないか。 その入り口を支えるイメージを培うのが算数ではないか、という話をする。
ということで、まずは算数と数学の違いを説明する。
数学と算数の違い
数学は前提を定義し、そこから証明を積み重ねる。 なんちゃらの法則や定理という武器を蓄えてそれを使って問題を解いていく。 その武器をうまく使いこなすためには証明を理解する必要がある。
対して、算数とは、数学の初歩的な部分に関する科目である。 故に算数は数学の一部分である。 中国や台湾や韓国、北朝鮮では算数は「小学数学」と呼ばれているようだ1。
算数では具体的操作や式と場面の対応付けや計算の反復によって式のイメージを理解し、その扱いに慣れていくことが重視される。
つまり、まとめると以下となる。
- 数学は証明を重視
- 算数は直感・イメージを重視
次は数学の証明を支える前提について深堀りする。
これ以上遡れない議論の出発点「公理」
数学は常に正しい。 その前提ならこう言えるよね、と言ってるだけだからだ。
しかし、前提の前提…のようにもっと遡ることができる。 以下の会話を見て欲しい。
「Aなのはなぜだろう?」
「それはBだからよ。」
「では、なぜBなのだろう?」
「それはCだからよ。」
このように物事の説明には限りがない。 そこで、「と、とにかく、この主張は正しい!根拠はないけど!」と遡りを区切って定義する必要がある。 これ以上遡れない出発点となる前提を「公理」と呼ぶ。
公理は根拠なく決められるが、無茶苦茶に決められている訳ではない。 ヒトが持つ基本イメージと照らし合わせた結果、説明も保証もできないけど直観的にどう考えても正しいと思われるものが公理として採用されたりする。
その出発点に対して「まあそうだよね」と合意できれば話が進められる。 逆に言うと、ここで納得できなければ先に進めない。
算数という土台が難しいから数学も難しいのでは?
証明を理解するためにはその根幹たる公理をイメージできることが重要だ。 公理や定義を直観的に理解できるようにする土台が算数だと思う。
公理や定義に対してイメージが湧かない状態で三角関数などの内容を理解できるわけがない。 これに納得し理解する土台となるイメージは算数にある。
例えば、三角関数は一見難しい。 でも、単位円は小学生でも理解できるはずだ。 算数で習う数直線で原点や座標を理解できる。 \(\cos\theta\)は、原点を中心とする単位円上のある角度に対応する点のx座標を示しているだけだ。
このように、数学の難しい内容は算数で習った基礎的なイメージにブレークダウンすることで納得できるはずだ。
「いや、算数より数学の方が難しいんだけど。。。」と聞こえてきそうだ。
まあそれはその通りなんだけど、それは算数的なイメージと数学の接続に躓いているだけなんじゃないかと。 つまり、数学が難しいのは算数という土台が難しいからではないのかと思うわけだ。
数学を教えるのは簡単
私は塾講師アルバイトなどで算数や数学を教えていた経験がある。
数学を教えるのは簡単だ。 生徒が躓いた問題に対して以下のようなことを伝えればいい。
- どの定理(公式)を当てはめればよいか
- 式変形や計算の進め方
これで生徒は「なるほど」とか言って、とりあえず指導を進めることができる。 しかし、類題でまた躓いたりする。
こういう子は解法をどう当てはめればいいかというブラックボックス的な考え方をしていて、 だからそれがさっき解いた問題の類題であることに気づかないのだと思う。
本来ならば算数まで遡って復習する時間を設けなければならない。 でも学校は待ってくれない。 だから、算数的な直感・イメージと数学の接続がどの段階かで切れたまま数学の学習に進めてしまっているのだと思う。
こういう土台まで遡ることをせずに表面的に数学を教えるのは割と簡単である。
直感的イメージまで遡る算数を教えるのは激ムズ
対して、算数を教えるのは鬼ムズい。 以下の質問にどう答えればよいのだろうか。
- なぜ 1 + 1 = 2 なの?
- マイナスにマイナスを掛けると、なぜプラスになるの?
「なぜって当たり前じゃん」としか言えない。 これは日常生活の中で身体的に理解するような直感・常識であり、口で説明することは困難である。
故に算数では、おはじきなどの半具体物の操作やそれを式で表現することを通して数への理解を深める。
負の数に関する質問も難しい。 「決まり事だから」とか「敵(マイナス)の敵(マイナス)は味方(プラス)でしょ」とか言ってお茶を濁すしかない。 まあ後者はいい感じの説明だと思うけど。
これは数を単なる大きさではなく、数直線上の向きを持ったものだとイメージを拡張できれば何となく納得できそうではある。
数学は算数の絵の代わりに記号を多用する。 そのため、両者とも根本は同じなのに別物に見えてしまうのだろう。
算数の基礎のゼロや位取り表記自体が歴史的には難しかった2
以上で数学よりも算数の方が教えることが難しい理由を述べた。
数学記号の背後に算数的なイメージを感じられることが数学を記号遊びではなく納得して理解していくために重要なのだと思う。 しかし、そのイメージを支える算数の基礎自体が歴史的には難しいことを示す。
算数の初期で普通に教わる位取りの数。 当たり前だと思っていないだろうか。
12世紀初頭にアラブからヨーロッパにゼロが持ち込まれた。 そこから位取りが定着し、筆算が普及するのに数世紀を要した。
位取りを表すためにはゼロが欠かせない。 ゼロは「何もないがある」を表しており、よく考えたら奇妙である。 これを発明できたのは世界の中でインド人だけだった。 ゼロは当たり前に算数で習う内容だが革命的であった。
ゼロによって位取りの考え方が生まれ、数をよりスマートに表現できるようになった。 そして筆算が発明され、ソロバンは駆逐された。
算数の当たり前の表記が当たり前になるのは簡単ではなかった。
位取りの数がまだないとき、乗法や除法が完璧にできる人は町に数える程しかいなかったらしい。 乗除法ができるだけで大した学者であり尊敬されたという。 たしかに、ローマ数字みたいなものしかない世界を考えれば難しさが分かる。
分数の割り算が難しかった
算数が難しいのは当たり前だと思えていただけただろうか。
次は、私が小学生の頃「分数の割り算」を理解するのに苦労した話をする。 私は後に数学が得意になったにも関わらずこんな基礎で躓いた。 いや、だからこそ数学が好きになって得意になれたのかもしれない。
私は、分数の割り算にて、分子・分母を入れ替えて掛けるルールが理解できなかった。 例えば、
$$5\div\frac{3}{4}$$
を解け、という問題があるとする。
数値だけ与えられてもイメージできないので何か具体的なものを当てはめてみる。 例えば、5個のリンゴを\(3/4\)人で分ける、と具体的に考えてみるが、
??
イメージできない。\(3/4\)人というのが自然数でないからだ。
悩んだ末に私は「分子分母を同じ数で掛けても値は変化しない」という性質に気づいた。 10個を2人で分けても、20個を4人で分けても、1人あたりの数は変わらない。 これは計算で確かめられるしイメージもできる。
ということで、分子、分母に4を掛けて、不自然な割る値をイメージできるよう読み替えることにした。
$$5\div\frac{3}{4}=\frac{5}{\frac{3}{4}}=\frac{5\times4}{\frac{3}{4}\times{4}}=\frac{20}{3}$$
なるほど、20個のリンゴを3人で分けるのか、これならイメージできるぞ。
む?
これは分数の分子分母を逆にした\(4/3\)を掛けた結果と同じじゃないか! 分数による割り算のルールを理解した瞬間だった。
算数という土台は自分で考えて理解するしかない
仮に、私が分数の割り算について他人から教えてもらったとしても理解できたかどうか怪しい。 基礎的すぎる話をいかに他人から教えられても、腹の底には響いてこない。 自分が持つ数学的直観(イメージ)との対話を通じて納得しなければならない。
数学では「このように公式を使おう」で済ませてしまえるけど、算数にはそれができない。 この意味において、算数は数学よりも難しい。
土台となる算数自体が難しいし、その上そこからイメージを丁寧に積み上げて数学を理解しなければならない。 数学に王道なし。
こんな偉そうに講釈垂れているが、わたくし、大学数学で挫折しました(笑)。
参考
- 算数[wikipedia]
- 零の発見 数学の生い立ち(吉田洋一)